特別支援学校と希望苑



富山型デイサービスに思うこと

共生という言葉がよく使われていた。富山型デイサービスとは「年齢や障がいの有無にかかわらず、だれでも利用できる施設」。
実際に、小さな赤ちゃんから高齢な方まで又、知的障がい、身体障がいが有る方が、ひとつ屋根の下に集い生活をするという実にユニークな形をもって経営されている。

特に驚かせられたことが、知的障がいのある職員が富山型デイサービスで働いているケースが実に多いということだ。小さな時から慣れ親しんだ施設に通い、その子供さんの特性をよく理解している職員がいる施設で就労が可能ということはとても現実的ですばらしい取り組みだと感じる。

施設で働くことを体験するシステムがあり体験労働を何度かすることによって施設側も体験者側も勉強をさせていただくことができるというのは実に現実的であり可能性を引き出すよい機会であることには間違いないだろう。

特に、特別支援学校との連携が密接であり、学校から体験労働ができる施設に行くことができる。このことによって社会を体験する上でも貴重な時間になることは間違いないだろう。

昨今の時代背景において障がい者の雇用、就労がいよいよ厳しくなってゆくことが想像できるが、幼少の時からの個々人の特性を把握し、その能力を育ててゆくことが、自立への大きな鍵となるだろう。

障がいをもつ子供たちの特性を幼少の時から発見し、その能力を引き出し成長させて行くことができる環境をつくりだすことは実に現実的である。

富山型デイサービスにおいては、現実にその画期的なシステムを確立させつつある。このことは実にすばらしいことである。
小さなコロニーが、小さなノーマライゼーションにつながって行く現実的な過程プロセスをはっきりと感じることができた。

もうひとつ興味が湧いて来たことがある。施設経営者の中に看護師、理学療法士など医療を体験してきた人間が多いことである。 彼女たちは、役職肩書きはあらず普段着での接している姿が実に家族的でアットホームである。スタッフや利用者にとってここちよい居場所であり生活の場となっている。

中には脳梗塞によって半身不随となった方がおられたが、職場を失い働くことができなくなった人、働く意欲がなくなった人。そんな彼らが生活の場である施設において、なにかやりがいを感じることができる役割を得られるということは中途障がい者にとっては、まさしく自分の居場所の発見であり、生きることへの意欲の発見である。

そういったことから、富山型デイサービスは生まれたときから死ぬまで家族のような職員と利用者との共同生活(共生)と言えるだろう。

障がい児・者において、将来の希望をもてるということは大きな生きる力になるであろう。 行政を含め周囲の環境が、障がい者であろうが健常者であろうが、彼らの夢を摘み取っていることは間違いないであろう。

障がいがあるからこの程度の生活保障で十分であるという気づかない上限の制限が、彼らが本来持つ夢や希望への積極的意欲を摘み取ってしまっている。
彼ら自身も夢や希望の制限をしてしまうという悲しい思い込みがある。
夢や希望が湧き上がってこないという植えつけられた不幸を取り除くのがこれからの身近な人間が行うべき努力である。可能性への希望が生きることにおいて大きな力となり、夢を実現させる努力の源となることの発見ができるかかわり方をしなければならないであろう。

最後になったが、富山県(行政)からの(家屋のリフォームなど)助成金など富山型デイサービスへの支援に積極的に関わっていることが、この新しい形のデイサービスの普及につながっているのであろうと察することができる。

今回の一泊二日のフォーラムにおいて全国(秋田県を除く)からの医療・福祉従事者。又、
惣万 佳代子氏(このゆびとーまれ)http://toyamagata.com/people/index.html
野沢 和弘氏(毎日新聞論説員)http://www.jinken-net.com/close-up/0712.html
玉木 幸則氏(自立支援協会議会 会長)http://www.nhk.or.jp/kira/message/tamaki.html
村木 厚子氏(内閣政策統括官)http://ja.wikipedia.org/wiki
の方々にお会いすることができ大きな励みとなった。

全国的に新しいデイサービスへの取り組みに深い関心を持っていることが伺えた。
近い将来、三重県でも富山型デイサービスが普及してゆくことを願いたい。
平成23年10月25日
藤 村 尚 城