潜在能力と残存能力の発見



福祉とはいったいどういう意味なんだろう。現場で働くケアワーカーはこんなことを考えたことが一度や二度あるだろう。
私は、そのことを考えるほど学識や知識を持ち合わせていないので、考えている時間がもったいない。

高齢福祉・児童福祉・障がい福祉・シングルマザー福祉・シングルファザー福祉・ベビーシッター福祉などなど福祉はそれぞれいっぱいあって、それらひとつひとつを区切られてしまいますと、なにやらひとつひとつが関係のないばらばら福祉に感じて大きな視点でとらえにくくなってしまう。
行政としては分けて考えないといろんな面で複雑になってしまうらしい。それは当然のことであるから行政にとやかく言うことはやめたい。だが、福祉は区切るものではなく、つなぐものである。繋がっていくからネットワークができ、いろいろなサービスを知る機会が多くなり、必要な福祉サービスを利用することができるのが、現実的な考え方だと思う。

私が今しようとしていることは、残存能力と潜在能力の発見である。
高齢者にとっては、残存能力が非常に大切になってくる。なぜなら、ひとりでトイレに行けることがどれだけありがたく又、大変なことかを知っているからである。おしっこに行くのが大変だから水分を摂らないようにすることは実はほとんどの人が体験したことのある行為である。
もちろん、私も体験したことがある。
高齢になると頻繁にそのような行為をしかたがなくしてしまうという、実に身体によくないことを日々の日常生活の中でしている。
介助が必要な人は、誰かに手伝ってもらうことがいろんな視点と意味を含めて遠慮しがちになってしまう。寝たきりの生活になってしまうと残存能力は寝返りやおしりを浮かすことなどである。
ひとりで排泄や入浴や食事や着替えをしたいと願うのは当然なことで、私自身もそうである。だからと言って、高齢の方に筋トレを奨励した方がよいと言っているのではない。毎日の日常生活での行為と動作が筋トレ同様なものであると私は考察している。

身体に障がいがある方はユニークな潜在能力の発見こそ希望であると確信できる。
身体とは脳も体も身体であり、こころの障がいではないことが重大なポイントである。彼らのユニークな特殊な特別な誰ももっていない能力がかならずあると断言できる。なぜ断言できるのかは長くなるので詳しくは書かないけれども、生まれてきたことに大きな意味をもっている。
潜在能力の発見こそ、可能性への希望であり”ちから”であると言えるだろう。
現実的には能力(技術)を発揮できる職場への就労であり、自立自活した生活への具体的な手段である。
福祉の発達した国では、子供との関わりに学校の先生と介助員が独自の工夫がある。視点は将来への自立である。幼いときから潜在能力を見出し、その芽を育てるという個々人に適した特殊な勉学方法を学校で行っている。

大切なことは、誰が潜在能力を発見し、誰がその能力を伸ばし、誰が就労に結びつけるかということになる。
おそらく、ひとりの人間だけの関わりでは達することはできないであろう。あらゆる分野の専門的な関わりが必要になってくるだろう。受け入れ可能な企業へのパイプラインがなかなか確立されていないことが大きな課題となりそうだが、その重たい扉を開けるには誰かがしなければならない。

潜在能力の発見と残存能力の発見は、誰もがもつ生きる力の発見であり、人生において具体的可能性への希望こそ福祉においても大切なことであると私は思う。
平成23年11月19日
藤 村 尚 城